mtk13465003's diary

素敵な七十代を楽しく生きるために!

押し入れの中で膨らんでいく鞄の中身は私のボケ防止の成果

今週のお題「私のかばん」
退職組3人でボケ防止のために始めてから5年になる「読書学習会」、テキストは順番に用意し、昼食はお弁当持ちの時もあれば、会場の提供者が作ることもあれば、時には安くて美味しいレストランで大いに盛り上がることもある。テーマは無く、テキスト当番が好きな作品を選び、短編なら全部を、長編なら部分を選択して印刷して来る。提案されたテキストを読み、各々が勝手なことを言い合い、時にはまとまることもあるが、テキストからかけ離れた所で盛り上がることもある。原則毎月一回の会と決めてはいるが、自分の都合や、家族の介護や、孫の世話や、私のように入院やらで、月に5回ほどは休講になる。つまり自由気ままな「読書学習会」なのだ。
お題に「私のかばん」と出たのを機会に、押し入れの中から重い鞄を引っ張り出して整理してみようと思い立ったのだ。なにしろ「自由」がモットウなので整理するにも難しく、いい加減な分類になってしまったと思うが、自己満足。
「事件に走った少女たち」(村山士郎) 「人類を救うのはアフリカ人」(今西錦司)「在日」(姜尚中)          「日本人とユダヤ人」(イザヤ・ベンダサン)「障害者の人権・平和・夢」(秋元波留夫)「戦後の民主的諸改革・新しい憲法の成立」「国家の品格」(藤原正彦)   「運のつき  現代を生きる」(養老孟司
「むかし あけぼの」(田辺聖子)「平家物語 読後感」(鈴木匡代)「万葉集入門・人麻呂・憶良」(久松潜一)「赤人の自然愛」(久松潜一)「水仙月の四日」「君死に給うことなかれ」(与謝野晶子)「忘憂里」(茨木のりこ)「体を作る日本語」(中原中也
仕事人「人には、社会の中の分担がある」(よしもとばなな)「ほんとうの私を求めて」(遠藤周作)「日本サッカーの歩み」(明石真和)「サッカー愛してやまぬ・心からありがとう」(中田英寿
「中年以降」(曽野綾子)「鍬と宇宙船」(秋山豊寛)「東海道五十三次」(岡本かの子)「筏場」「すべてダメでし(す)た」「人間失格」(太宰)
よだかの星 」(宮沢賢治)「おしらさま」(鈴木サツ)「最後の一葉」(オーヘンリー)「天の笛」(斎藤隆介)「一房の葡萄」(有島武郎)「鍛冶屋のこ」「経験」(新見南吉)「緑の指」「ボート」(よしもとばなな
整理していて後日談を思い出す。迎えのために車を出してくれる娘さん(二児の母)が「よしもとばなななんて、すごくお洒落、こんなテキストを用意する仲間がお母さんにもいるんだね。」と娘に褒められちゃったよという報告を聞いた時、私はブログで出会う自分よりよほど若いお仲間を誇りに思わずにはいられない。そのお仲間が私のボケ防止になっていることは確実だ。

 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
     
 

2014年夏の痛ーい自由研究

今年の夏の異常気象で大きな被害にあわれ、命まで落とされた日本列島各地の方々には誠に申し訳なく、自分自身の不注意で、猛暑と熱帯夜と味わったことのない痛みに耐えかね、被災者どころではなかった今年の夏の痛ーい自由研究について発表させてもらいます。もし私と同じ薬を常用されていらっしゃる方がおりましたら、ご参考までに。
3年前に心臓のバイパス手術をし、それ以来ずっとワーファリンを常用して入る私は、退院する時、看護師さんや担当医に「怪我や出血するような傷には充分注意してください。大変なことになりますから。」と言われて、決してその言葉をおろそかにしたわけではないが、自分のちょっとした不注意で大変なことになってしまったのだ。
いつもは自分の運動靴しか決して履かない私が、金魚の水替えで下が濡れているとも知らずに夫のサンダルの上に乗ってしまった。どのような滑り方をしたのか記憶にないが、勢いよくというよりスローで滑って片腕を下駄箱か柱に打ち付けてしまったのだ。気がついた時には、腰も足も膝も少しも痛くなかったのに、腕が痛かったので出血はないか丁寧に見たが何の異常もなく、ぶつけた所が少し赤く腫れていた。腕を動かしてみたが骨折の様子もないので、湿布薬を貼っておけば治るだろうと単純に考えてしまった。
二日後は、私たち3人の読書会の日だった。テキストの提案者は友人の一人だったが、会場が私の家だったので昼食係りでもあったのだ。冷やしラーメンを献立に考えていたので、卵焼きとハムときゅうりの千切りとすりごまと焼き海苔を用意して茹でめんに直に載せられるように準備していた。そこまではまだ手は動いた。ところが冷やしラーメンを食べようにも痛くて痛くて箸を動かせない。湿布薬の隙間が風船を膨らめたように膨らんでいるのだ。早く会を解散して袴田外科で診察してもらわなければと気ばかり焦り、痛みのため口数も減り、それでも皆に気づかれずに何とか解散に漕ぎつけた。
袴田外科は外来は休みだったが、急患ということで診察してもらった。一目見て先生は「骨折がないかレントゲンを撮りましょう。レントゲンの結果骨折はありません。ワーファリンは暫く止めた方がいいと思いますが、心房細動があるということだと心臓の方が大事ですからね。八木先生に手紙を書きましょう。これを持って八木内科へ行ってください。」
八木先生は総合病院退院後の主治医で、いつもお世話になっているのだが、今日は私の主治医の診察日ではないので明日まで待たなければならない。血管の一本一本を絞られるようなこの痛みをどう堪えればいいのか、間隔をおいて襲ってくる痛みを涙こそ出なかったが唸りながら堪えた。
やっと夜が来た。内出血はひどくなる一方で、まるで太い長茄子をつる下げたような腕の腫れが指の方へと移動している。早く指輪を抜かなければ指がちぎれてしまうだろう。急いで指輪を抜いた。痛みの感覚はせばまり、血管をひねられるような痛みは我慢の限界を超えた。寝ることは勿論横になることも体勢をどうすることも出来ない。
時計は午前2時を指している。私の痛みに便乗して声掛けしてくれていたが、少しうつらうつらしていた夫を起こした。救急病院に連れて行ってもらう。急患がなかったのか直ぐに担当医が診察してくれた。レントゲンを撮り骨折がないことを確認すると、「幸いにも骨折はありませんね。でもこの内出血と腫れはもっと進むでしょう。指の先までポンポンになると思いますが、時間はかかっても内出血は引きますから。腫れもだんだん引きます。痛みは続くと思いますから痛み止めを出しておきましょう。痛くて眠られない時は5時間空けなくても飲んでいいですよ。手の置場がないでしょうから、骨折で使う添え木を当てておきましょう。明日整形外科へ来て見せてください。可能止めも出しておきますから薬局で指示されたように時間を守って飲んでください。お大事に。」
翌日整形外科を受診した。これと言った治療もなく痛み止めが増えただけだった。そのまま八木医院へ直行して、「この痛みを何とかしてほしい。」と訴えると「注射を打ちましょう。今日はいつもより血圧が高いようですが痛みが影響しているからでしょう。脈拍にも不整脈が出ていますが、ワーファリンとシベノールはいつも通り飲んでください。何より心臓が大事ですからね。痛み止めも出しておきます。少しでも異変があったら直ぐ来てくださいね。」
処置室へ行くと看護婦さんが太い大きな注射器をもってきて、今日のは量も多くて大変だから一番痛みを感じない所に打ちますね。横になってみてください。ワーファリンを飲んでいる人の打ち身は内出血がひどくて痛くて大変ですが頑張ってくださいね。」痛みが少し引いたように感じたのはあの凄い注射のせいだったかと気持ちが幾らか明るくなった。
それから2週間毎日袴田さんへ通い、傷の手当てをしてもらった。2週間たつと先生はピンポン玉のように膨らんでいる一か所だけを何度も抑えて、「今日は切開して中に溜まったものを出しましょう。このまま固まってしまうと腕が自由に動かなくなると困りますからね。皮下血腫切開術して腕を少し楽にしてやりましょう。」看護婦さんがやって来て「血が飛ぶといけないから服を汚さないようにバスタオルを巻きつけましょう。」と言ってぐるぐる巻いた。先生が「少し我慢してくださいね。切開したら中のものを出すために強く抑えますからね。」
看護婦さんたちの「わー凄い。」とか「まだフォアグラ出るね。」とか言い合う声の中で先生の声が「ほら今井さん見てごらん。こんなものが出るんだよ。」と、固くつぶっている私の眼を開けさせた。私はピンポン玉から先生の手によって押し出されるぶつぶつと固まりかけた血液の結晶を見つめた。この処置は3日続いた。
それから包帯は薄くなり、ついにはテープだけになり、「このままシャワーに当たってもいいですよ。シャワーから出たらこの救バンに張り替えてください。」これも3日続いた。先生は切開した傷口を丁寧に見て「傷口も綺麗に塞がりましたね。もう全部とってもいいですよ。これ定期診察は終わりにします。何か気になることがあったらいつでも来てください。」
1か月にわたる医者通いも終わった。薄茶色や黄色のまだら模様はまだ残っているが、日増しに内出血の痕が薄くなっているのは分かる。両手を使って顔を洗うことも、気持ちよくシャンプーすることもできるようになった。力を必要としないことは両手を使ってできるようになった。ただ南瓜を切ったり、さつまいもを切ったりする時は夫の手を借りる。指が自由に動かなかったために文字を書く不自由があって、筆不精をしてしまった。これからお詫びを一筆かかなければならない。

山でしょう

今週のお題「海か? 山か?」
海か山かですって、若い頃なら両方と答えるでしょうがこの年では山でしょう。最近では随分高くまで車で行けますから、若い頃を思い出し、登ったつもりにもなれます。新幹線では車窓を楽しむこともままなりませんが、車では好きな所に止まり、夏山の景色に堪能し、空気の美味さに深く深呼吸し、下手なデジカメも存分に活躍できます。山登りまでいかなくても車で十分に楽しめます。
山の思いではたくさんあります。富士山には中高時代に3回登りました。山小屋の雑魚寝がきつかったこと、御来光は静かに合掌して見るものと思っていたのに、どこからか「ばんざい」の声が湧き起こって「どうして」と思ったこと、砂走りは止まりたいのに、止まることができないまま走り下りたこと、現在の富士登山はきっと変わっているだろうと思いますが、昔の思い出は変わることはありません。
尾瀬にも懐かしい思い出があります。湿地帯の白樺の浮き板を渡るのも楽しかったが、山登りも楽しかった。雪の中にこんぺとう菓子をうめて食べたり、雪でオレンジジュースを作ったり、眠れぬ夜に外へ出て見るとつかめそうな所にたくさんの星が瞬き、空の中に自分が立っていることに感動して涙ぐんでしまったことなど、今でもその光景が走馬灯のように浮かんでくるのです。若い時代の山は思い出の中に生きています。
でも今実践しようとしたらどれだけの人に頼らなければならないか、それを考えただけでも若い頃の思い出だけで十分満ち足りています。以上私の昔話でした。

選んで良かったもの

今回も週遅れで投稿する。
「選んでよかったもの」というと買った物と思ってしまうが、物ではないところに実は大きな価値を見出し、これからの人生の糧にしているもの、それは「生きることは物語を作ること」という言葉に触発されて、はてなブログを選び、多くのブログ友達ができたこと。
彼等のブログを読み、共感や感動をもらい、痛みや迷いを私なりに受け止め、見事な写真にうっとりと癒され、自分が書く以上に生きる喜びをもらっているような気がする。だからつい自分の経験の中からコメントを書いてしまう。下手なコメントでも心のこもった返事をもらうと嬉しくなり、また自分の物語も書きたくなり、書いては投稿する。
この与えられたり与えたりの作業が今の私を生かしていると思うと、「物」より「質」が大切だとは思うが、「物」でも選んで良かった物がある。それは「ホームベーカリー」の購入だ。
夫も私が焼くパンに大満足だ。朝食はパン食に変わり、チーズやハムやレタスを挟んだトーストサンドと牛乳になった。ヨーグルトも常食になった。今まで朝大切にしていた味噌汁は夕食の一品になった。食事のパターンが変わったことで、私たち老人夫婦の体調も良くなったように感じる。

成績に関係ないテストの楽しさ

娘の明日香が小学生の頃、国語の授業の教材に「ひよこ」を使ったことがあった。
勿論教材を用意したのは担任の先生だったが、授業が終わってもひよこがあまりに元気だったので、先生は一つの実験を試みた。「ひよこがとても元気なので、希望者に育ててもらいたいと思う。でもお父さんお母さんが賛成しなくては駄目よ。明日までにおうちの許可が下りた人の中から、テストする人を選びましょう。」と投げかけたのだ。
翌日、手を挙げた明日香を見て、先生は「明日香ちゃんのうちはマンションでしょう。ほんとに大丈夫?」と念を押したのだが、明日香の決心は固かったようで、とうとうひよこを家に持ち帰った。後でこの話を先生から聞いて大笑いだった。
段ボールでひよこの住処を作り、「ぴよちゃんの家」と名づけた。明日香も良く世話をして、ひよこも段々鶏の形を成してきた。
ある時、夫がみかんの空き箱で鶏小屋らしきものを作って、「大分大きくなったから、ベランダに移そう。」と言いだした。私は「朝早くからコッコ、コッコ、コケコッコ―なんて鳴いたら近所迷惑にならないかなー。」と思ったのだが、お隣には知らせて置いて、卵を産んだらおすそ分けしましょうと解決策を考えて置いたので事なきを得た。
トサカの色も良く、元気な鶏が最初の一個目の卵を産んだ時は、家族みんなで大喜びをして、早速お隣へ届けた。そしてカレンダーに大きなシールを貼ってお祝いした。私はこの感激を手紙にしたためて娘に持たせた。
担任の先生から直ぐに返事がきた。「ひよこは4匹いましたが、明日香ちゃんの他は農家のお子さんに頼みました。でも広い庭はひよこにとって安全とはいえません。ひよこはまもなく猫と蛇にやられてしまいました。マンションの3階で育てられたぴよちゃんだけは天敵にやられることなく卵まで産んでくれたのですね。テストが成功したのは明日香ちゃんとお母さんの努力のたまものですね。有難うございました。」
この夏は記録的な暑さが続いた。ベランダにシーツを吊るしたりして太陽を遮ったが、ぴよちゃんも暑さ負けしたようで、卵を産む回数もどんどん減って来て、餌も残すようになってきた。
ある朝ぴよちゃんはぐったりと倒れていた。お線香をあげて段ボールに寝かせて、市が経営する動物の火葬場へお願いしてきた。明日香はそんなにがっかりした様子はなかった。むしろ達成感の方が強かったのかもしれない。

アイドル

この「お題」について書こうと思った時、最初にしたことは「アイドル」の言葉の意味を調べることでした。「可愛いとか魅力的、かっこいいとみなされる人物を指し、歌手や役者、テレビタレント、写真モデルなどで数か月から数年に渡って継続的にマスメディアに登場する個人やまたはグループ」を指すということで考えてしまいました。
私にとって「アイドル」とはもう3点、「永遠に心に残り、個性的で、歳をとらない」を欠くことができないのです。アイドルと言われる方々がどんなに大勢並ばれても、私にはお名前もお顔も覚えられないのです。ごめんなさいね。
でも私にも愛してやまないアイドルはいるのです。「のぼうの城」に登場する甲斐姫村上海賊の娘」に登場する景姫の一挙手一投足は私の心を震わせます。私の心をわしづかみにして離しません。文字を通して残る感動は視覚だけに留まらず細胞の隅々にまで沁み渡ります。そして色焦ることはないのです。だから映画やテレビドラマで放映されても、見ようとは思いません。自分が最初に持ったイメージを大切にしたいからです。壊したくないからです。甲斐姫と景姫は私の永遠のアイドルです。