mtk13465003's diary

素敵な七十代を楽しく生きるために!

引っ越しは成長の糧

今週のお題「お引っ越し」
「引っ越しました。今度何か送ってくれる時は、次の住所にお願いします。」とだけの引っ越し通知をもう2度もメールしてきた娘の呑気さにも呆れるが、行って見て来ることも出来ない親のふがいなさにも我ながら嫌気がさす。とは言え12時間以上もの飛行機の旅は私の体にはとても無理だ。
卒業前のインターン制度で務めた会社に、外国人枠で採用されて、コロラド州デンバーに住み着き結婚もした。
デンバーは綺麗で住みよい街だ、と初めて行った時は私もそう感じた。だが5年も住むと、高校生の銃撃事件が立て続けに起きたり、山火事が何か月も続いたり、10月から3月いっぱいまで雪が積もり、乾燥が強くて娘の肌には合わなくて苦労したりで一回目の引っ越しとなった。
西海岸に近いワシントン州のBurien という街で、シアトルが一番近い大都市だという。大リーグが大好きで、イチロウ君が在籍していたころからシアトルマリナーズのファンだった夫は「シアトルなら乗り換えなしの直通だから、日本への帰国も楽になる。」とは言ったものの、夫は娘の所へ行く気は毛頭ない。私の感だが、夫は飛行機が大嫌いなんだと思う。
デンバーは白人の街で、生活レベルが少し高かったが、ここは移民の街で大家族が多く、昼も夜もなく働いたと思うとみんなで一緒にパーティをやって楽しむ、というような生活スタンスだ。でも私たちも仲間に入れてもらって楽しいよ、友達もできたしね。」と言っていたのに、また引っ越しだ。隣町と言っていいほどの所だ。理由はまだ聞いていない。
番地が2番しか離れていないTukwilaという所だ。例によってインターネットで地理を調べ、航空写真で最大にして写しだす。どの家かまでは分からないが、おおよそ近くの公園だとか主な建物、ホテルなどは分かる。この住所で日本から送った物が着いたというメールがきたので間違いない。
まだ学生だった頃、就活用のスーツを送ったが紛失してしまったので、それからは住所が変わる度に郵送の返信は必ずするように言っている。
娘は2001年に日本を出国して以来、14年になる。その間5回の引っ越しをしているが、私たちは娘夫婦の住まいを訪ねたことがない。娘の親離れがしっかりしていたのか、親の子離れが早かったのか分からないが、私の心臓手術の時は帰国して3週間付き添ってくれた。二人の兄たちにも、最後になっても後悔のないようにと連絡を取ってくれたりしたが、そのことについては娘も兄も言葉には出さなかった。
人生のうちで引っ越しの数は結構多い。若い頃は、引っ越しの度に未知のものを手に入れて成長しているような気もするが、家を持ち安定してしまうと、成長が止まってしまうような気がするのもまた然りと思う。