mtk13465003's diary

素敵な七十代を楽しく生きるために!

私と妹は7歳離れている。私が中学一年になった時うまれた。
抱かせて抱かせてと言って良く抱っこした。周りに誰もいない時を見計らって抱くと意外に重く、長くは抱けなかった。お祖母ちゃんがおしめを替えていると私にやらせてとせがんだ。赤ちゃんを寝かせてやることは何とか上手にできるようになった。
赤ちゃんの首が立つようになると、大人たちは赤ちゃんのお尻をだして体をかがめて抱っこしておしっこをさせるようになった。私も赤ちゃんをだっこしておしっこをさせたくてたまらなかった。様子をうかがって誰もいないことを確認して、抱っこしておしっこをさせようとした。妹はふんぞり返っていやがったので、そのまま地面に落ちて顔を突いてしまった。すごい鳴き声に母とお祖母ちゃんがすっ飛んできた。それから私がどんなに叱られたかはいうまでもない。
そんな時、父が扁桃腺の手術の失敗で亡くなった。戦後のどさくさで私と父との思い出はあまりないが、妹は父の顔さえ知らない父親のない子になった。葬儀の時参列者は小さな妹を見ては皆涙を流してくれた。それからの私たちは母とお祖母ちゃんの手で育てられた。7つも年が違うと妹は私の家来みたいで、私の言うことは何でも聞いてくれた。
成長してからの私たちは全く違う道に進んだ。妹は裁縫や編み物や手芸が好きで洋裁学校に進み、やがて先生の助手を務めるようになったが、和裁も極めたいと転職した。結婚も消極的で、私は頼まれるばかりだったがやっとご縁を見つけゴールインした。
妹の子供が、姉弟、私の子供が、兄弟、六年生以上になったので4人で冒険旅行をしようと計画し、伊豆の内海を歩いて回ろうと出かけた。内海には小さな海水浴場がすぐお隣に続いていて、子供たちは水着で移動してはすぐ海に飛び込んでは遊ぶ、またすぐ隣の数人しか泳いでいない海水浴場に移って海に飛び込む、4場所ぐらい移動したとき、実家に帰省していた私の同僚に会い、スイカ割りなどいい思い出を作って、大人二人は疲れ果てやっとで旅館にたどり着いた。
この旅は私たち姉妹の最も悔やまれる旅となった。どうして母を連れて行かなかったか、母は泳ぎが得意で、海での泳ぎを教えてくれたのは母だった。その母と二人の娘が一緒に旅することはついに無かった。
今でも妹と海を見ると、母を誘わなかったことが悔やまれる