mtk13465003's diary

素敵な七十代を楽しく生きるために!

「憧れ」は年とともに「懐かしさ」へ

今週のお題「憧れの人」
3年前の5月のこと、夫の小学校時代の友人が寄ってくれた。
「東北の大震災の跡はすざましいものだった。大学と友人たちを訪ねたが何とか生き延びていたので、夏にはボランティアに来るからと言って一旦帰ってきた。」との報告に、新潟の中越地震以来山古志村の高校生と交流を持ち看護師になった彼女やその家族との交流が今も続いている夫の話などが入り混じって自然災害の少ない静岡は何という幸運なんだろうという話に落ち着いた。
Rくんは中高大は違う学校だったそうだが、小学校時代はとても夫と気が合い親友だったので、横浜に住んでいるのにわざわざ静岡へ寄り道してくれるのだ。その彼の話の中に私がもしやと思う人の名前が登場した。小学校の5、6年の時私と同じクラスで、それ以来中高大の青春時代は全く交流もなく、口を聴くこともなかったが、私が密かに憧れていた人だった。聞きかじっていくと私の憧れの人に間違いなかった。同じ横浜に住んでいて高校が同じだったので仲良くしていたというのだ。一寸ドキドキなんかして変な気持ちだった。
それから何週間か経った頃、突然「わたし、横浜に住んでいるKと言う者ですが、突然電話してすみません。R君からMさんのことを聞いて、懐かしくてあの頃の皆に会いたくなりました。用事で静岡へ行くので次の日曜日に会いませんか?もしご都合がよければ11時に市立図書館の前で待っています。」との電話、R君が話したんだなと思いながら、果たして60年来会ったこともない人と会って、お互いに分かるだろうかといささか不安になる。
日曜日、誘ったTさんが風邪で外出は無理なので、「Mちゃん、K君に会ってその報告をして。」ということで10時40分頃図書館の前に行く。図書館の前は空いていた。一回り見回しただけで、お互いに相手が分かった。「初めまして」はおかしいので「お久しぶりです。60年ぶりかしら。」で始まって、向かいの喫茶室で話は大いに盛り上がる。Yちゃん、Tちゃん、Eちゃん、S君、M君など、K君が持ってきた小学校時代の記念写真を見ながら寸劇のような場面場面が次々と浮かんでは流れる。次に会う時は同窓会にしよう、名前も考えよう、そんな話をして別れる。
60年という年月は、「憧れ」という個の甘さより「懐かしさ」という集団の感動に色付けされ、より価値あるものに高める。
翌年の会は「築山」と名付けられ、Eちゃん主導の久能山東照宮の案内で日本平ホテルでのランチ、次の築山会は、M君の所属するボランティア管弦楽の鑑賞会を予定している。
「築山」の由来は、今でこそ鉄筋コンクリートの校舎になってしまったが、当時は木造の校舎で素敵な築山があり、何かの記念日には築山をバックに写真を撮った。だから私たちの小学校時代の写真には必ず築山が映っているのだ。
NiceSeventyは私のブログ名だが、私を取り巻く人たちは皆NiceSeventyを謳歌している。その中でこれと言って何の取り得もない私も素敵な70代の仲間入りさせてもらっていることを幸せに思う。