mtk13465003's diary

素敵な七十代を楽しく生きるために!

2014年夏の痛ーい自由研究

今年の夏の異常気象で大きな被害にあわれ、命まで落とされた日本列島各地の方々には誠に申し訳なく、自分自身の不注意で、猛暑と熱帯夜と味わったことのない痛みに耐えかね、被災者どころではなかった今年の夏の痛ーい自由研究について発表させてもらいます。もし私と同じ薬を常用されていらっしゃる方がおりましたら、ご参考までに。
3年前に心臓のバイパス手術をし、それ以来ずっとワーファリンを常用して入る私は、退院する時、看護師さんや担当医に「怪我や出血するような傷には充分注意してください。大変なことになりますから。」と言われて、決してその言葉をおろそかにしたわけではないが、自分のちょっとした不注意で大変なことになってしまったのだ。
いつもは自分の運動靴しか決して履かない私が、金魚の水替えで下が濡れているとも知らずに夫のサンダルの上に乗ってしまった。どのような滑り方をしたのか記憶にないが、勢いよくというよりスローで滑って片腕を下駄箱か柱に打ち付けてしまったのだ。気がついた時には、腰も足も膝も少しも痛くなかったのに、腕が痛かったので出血はないか丁寧に見たが何の異常もなく、ぶつけた所が少し赤く腫れていた。腕を動かしてみたが骨折の様子もないので、湿布薬を貼っておけば治るだろうと単純に考えてしまった。
二日後は、私たち3人の読書会の日だった。テキストの提案者は友人の一人だったが、会場が私の家だったので昼食係りでもあったのだ。冷やしラーメンを献立に考えていたので、卵焼きとハムときゅうりの千切りとすりごまと焼き海苔を用意して茹でめんに直に載せられるように準備していた。そこまではまだ手は動いた。ところが冷やしラーメンを食べようにも痛くて痛くて箸を動かせない。湿布薬の隙間が風船を膨らめたように膨らんでいるのだ。早く会を解散して袴田外科で診察してもらわなければと気ばかり焦り、痛みのため口数も減り、それでも皆に気づかれずに何とか解散に漕ぎつけた。
袴田外科は外来は休みだったが、急患ということで診察してもらった。一目見て先生は「骨折がないかレントゲンを撮りましょう。レントゲンの結果骨折はありません。ワーファリンは暫く止めた方がいいと思いますが、心房細動があるということだと心臓の方が大事ですからね。八木先生に手紙を書きましょう。これを持って八木内科へ行ってください。」
八木先生は総合病院退院後の主治医で、いつもお世話になっているのだが、今日は私の主治医の診察日ではないので明日まで待たなければならない。血管の一本一本を絞られるようなこの痛みをどう堪えればいいのか、間隔をおいて襲ってくる痛みを涙こそ出なかったが唸りながら堪えた。
やっと夜が来た。内出血はひどくなる一方で、まるで太い長茄子をつる下げたような腕の腫れが指の方へと移動している。早く指輪を抜かなければ指がちぎれてしまうだろう。急いで指輪を抜いた。痛みの感覚はせばまり、血管をひねられるような痛みは我慢の限界を超えた。寝ることは勿論横になることも体勢をどうすることも出来ない。
時計は午前2時を指している。私の痛みに便乗して声掛けしてくれていたが、少しうつらうつらしていた夫を起こした。救急病院に連れて行ってもらう。急患がなかったのか直ぐに担当医が診察してくれた。レントゲンを撮り骨折がないことを確認すると、「幸いにも骨折はありませんね。でもこの内出血と腫れはもっと進むでしょう。指の先までポンポンになると思いますが、時間はかかっても内出血は引きますから。腫れもだんだん引きます。痛みは続くと思いますから痛み止めを出しておきましょう。痛くて眠られない時は5時間空けなくても飲んでいいですよ。手の置場がないでしょうから、骨折で使う添え木を当てておきましょう。明日整形外科へ来て見せてください。可能止めも出しておきますから薬局で指示されたように時間を守って飲んでください。お大事に。」
翌日整形外科を受診した。これと言った治療もなく痛み止めが増えただけだった。そのまま八木医院へ直行して、「この痛みを何とかしてほしい。」と訴えると「注射を打ちましょう。今日はいつもより血圧が高いようですが痛みが影響しているからでしょう。脈拍にも不整脈が出ていますが、ワーファリンとシベノールはいつも通り飲んでください。何より心臓が大事ですからね。痛み止めも出しておきます。少しでも異変があったら直ぐ来てくださいね。」
処置室へ行くと看護婦さんが太い大きな注射器をもってきて、今日のは量も多くて大変だから一番痛みを感じない所に打ちますね。横になってみてください。ワーファリンを飲んでいる人の打ち身は内出血がひどくて痛くて大変ですが頑張ってくださいね。」痛みが少し引いたように感じたのはあの凄い注射のせいだったかと気持ちが幾らか明るくなった。
それから2週間毎日袴田さんへ通い、傷の手当てをしてもらった。2週間たつと先生はピンポン玉のように膨らんでいる一か所だけを何度も抑えて、「今日は切開して中に溜まったものを出しましょう。このまま固まってしまうと腕が自由に動かなくなると困りますからね。皮下血腫切開術して腕を少し楽にしてやりましょう。」看護婦さんがやって来て「血が飛ぶといけないから服を汚さないようにバスタオルを巻きつけましょう。」と言ってぐるぐる巻いた。先生が「少し我慢してくださいね。切開したら中のものを出すために強く抑えますからね。」
看護婦さんたちの「わー凄い。」とか「まだフォアグラ出るね。」とか言い合う声の中で先生の声が「ほら今井さん見てごらん。こんなものが出るんだよ。」と、固くつぶっている私の眼を開けさせた。私はピンポン玉から先生の手によって押し出されるぶつぶつと固まりかけた血液の結晶を見つめた。この処置は3日続いた。
それから包帯は薄くなり、ついにはテープだけになり、「このままシャワーに当たってもいいですよ。シャワーから出たらこの救バンに張り替えてください。」これも3日続いた。先生は切開した傷口を丁寧に見て「傷口も綺麗に塞がりましたね。もう全部とってもいいですよ。これ定期診察は終わりにします。何か気になることがあったらいつでも来てください。」
1か月にわたる医者通いも終わった。薄茶色や黄色のまだら模様はまだ残っているが、日増しに内出血の痕が薄くなっているのは分かる。両手を使って顔を洗うことも、気持ちよくシャンプーすることもできるようになった。力を必要としないことは両手を使ってできるようになった。ただ南瓜を切ったり、さつまいもを切ったりする時は夫の手を借りる。指が自由に動かなかったために文字を書く不自由があって、筆不精をしてしまった。これからお詫びを一筆かかなければならない。